HSP主婦の少しずつ心地よい暮らし方

気分が上がる、行動をする

やっと気づいた

 

 繊細さん、という言葉が広まる前から、というより子どもの頃から、「繊細だよね」とよく言われていました。

 私にとって繊細=内気、気弱、内向的といった、大人しくて弱いというイメージだったので、全然嬉しくありませんでした。

 何をもって「繊細」と言われたのか、そんなふうに見えるふるまいがあったのか、今となってはわかりませんが、ちょっと訊いてみたかったような気もします。

 

 学校や職場など、大勢で過ごす場所が苦手で、専業主婦になったのをいいことに、しばらく家に引きこもっていました。

 たまに電車や車で出かけるとなると、途中で事故にあうのではないか、お腹が痛くなるのではないか、地震が起こるのではないかなどと、ネガティブな想像が止まらず、せっかくのお出かけなのに心から楽しめない。身軽に動けない。

 週末にショッピングモールや大型スーパーに行くと、人ごみや、視界に飛び込んでくるたくさんのもの、大きな音の刺激に疲れて、足元がふわふわして気分が悪くなることもしばしばでした。

 

 一人目の子どもが産まれると、自分の育て方で大丈夫なのか不安で仕方なく、買いあさった育児書が、本棚のほとんどのスペースを占めました。育児書で埋め尽くされた本棚を見て、不安が解消されるどころか、自分の心配性ぶりにかえって不安になる始末でした。

 その子ももう二十歳を超えましたが、あの頃の本の内容、何一つ残ってないです(苦笑)三人目はまだ、おちびなのですが、子どもの目をちゃんとみて、話を最後まで聞いて、甘えてきたら抱きしめてあげて、今ではもうそれだけでいいんじゃないかと思えるほどの力の抜けぶりです。

 

 育児は少しずつなれてきたのですが、子どもの幼稚園や学校の保護者会活動、行事参加などはだいぶしんどかったです。

 

 委員を引き受け、大勢で話し合う場などでは、何か言いたそうな人がいるから、まだ黙っておこうとか、こんなこと発言したら浮いてしまいそう、話の流れをおかしくしてしまいそう、などと考えて、結局黙って座っていただけなのに、家に帰るとぐったり疲れてソファに倒れ込むことを繰り返していました。

 

 幼稚園の年長で役員を引き受けたときは、卒園時に先生に渡すアルバムを役員の誰がどうやって作るのか、重い負担を誰が引き受けるのか、細かく作業を分担するのか、それを話し合うことを想像するだけで気が重くなり、なぜかだいぶ早いうちから一人でカルトナージュの先生に習いに行き、試作品を作ったうえで、引き受けるという、謎のフライング行動。

 その後も、もしかしたら役員のなかに、本当は作りたかった人がいたのではないか。もっと違う仕様にした方が喜ばれたんじゃないか、とうじうじ悩む始末。

 

 自分の思考、心身の不調にふりまわされているようで、ほとほと疲れていました。

 

 どうしてみんな、あんなに楽しそうなんだろう。

 いきいきしているんだろう。

 身軽に動けるんだろう。

 それにくらべて、どうして私は、と落ち込むことも多かったです。

 

 HSPという言葉に出会って、本を読んだり、セミナーに参加したりして、それが自分の気質だったのだということを知ったときは、なんだか安心しました。それじゃあ、仕方ないと。いい意味で諦めがついたような気持ちです。

 遺伝性だというこの気質、代々同じような思いをしてきた、顔も知らないご先祖様がいるのかしら、なんて思ったりして。

 また、同じような考え方や感じ方をする人たちが一定数いるということにも、どこか安心したりもしました。

 

 自分の気質を理解して、受け入れて、自分の人生、より心地よく過ごしていけたら、と思うのです。そのための心と身体の整え方、色々な人と分かち合えたら嬉しいです。