手放す
振り返ってみると、たくさんの思い込みに縛られていたような気がします。自分で自分を窮屈にしていたような気がするのです。
・周りの人にいつも朗らかな挨拶ができて、楽しく世間話ができなければならない
・たくさんのママ友を作り親しい関係を築けなければならない
・掃除の行き届いた、きれいな部屋を保たなければならない
・週末は、家族の用事やリクエストに応えなければならない
・家族のために栄養バランスのとれた料理を作らなければならない
などなど
一見、真面目そうで献身的な、そうでなければならない、という思い込みには、周りに対する期待や願望もセットになっていました。
・周りの人にも明るく挨拶を返して、世間話程度の話をしてほしい
→誰でも、その時の体調や状況によって声の調子も変わるし、話せないときもある
・たくさんのママ友に自分と親しくしてほしい
→相手から自分に興味をもって、歩み寄り仲よくしてほしいという勝手な願望
・家族には掃除をしていることに気づいて感謝をしてほしい
→誰からも頼まれていないことをやって、気づいて感謝されることを期待
・充実した(と思える)週末を過ごしたい
→自分のしたいことをするのが充実なんじゃないの?
・ちゃんとしてる、と思われたい
→楽しくご飯を食べられることが一番では?
心のなかで、他人の対応や反応に対して、こうしてほしいという自分の希望を勝手に押し付け、その通りにならないと、一人でがっかりしたり腹を立てたりしていたのです。
そんな自分に対して、めんどくさって、思いました。
心のなかで他人をあてにすること、他人が自分にとって都合よく応えたり動いてくれたりすることを、言葉には出さず(態度には出てたかもw)、じっとりと待つことの非効率!
この、周囲に依存する自分の考え方に、ついつい空気を読み、相手の感情をキャッチし、あれこれ妄想してしまう気質が加わって、ますます自分を窮屈にしていたのではないか、と思ったのです。
それで、少しずつ手放すことにしました。
・快適なご近所付き合いはしたいから、挨拶はするけど、無理に笑顔を作らない
相手の反応にも気を留めない
・仲よくなりたいと思う人には、話しかけたいと思うときに自分から話しかけてみる
・きれいな部屋で過ごしたいと自分が思うなら掃除をする
・自分のしたいことをして、行きたいところに行く
夫が車で連れて行ってくれるのを待つのではなく、電車にのって自分で行く
・自分が食べたいものを作る
全部、自分のためにしている。そう思えないことは極力しないことにしました。
自分ファースト。
他人をあてにせず、自分に期待する。
そう決めたら、なんだか楽になりました。
人の輪のなかに、なかなか入っていけず、入ってみても人の話に相槌を繰り返すばかりで、だんだん退屈してきて家に帰りたくなる。打ち解けるのにも時間がかかる。
でも誰かのちょっとした気遣いや優しい言葉が本当は泣きたくなるほど嬉しく感じて、いつまでも胸のなかに抱えている。
ちょっと勝手でもどかしいところもあるけれど、認めてしまったら、そんな自分もかわいいと思えるようになってきたのです。
自分の人生だから、自分が幸せになるために生きる
周りの人の人生も、それぞれが幸せになるためにある
それさえ踏まえていれば、無理も遠慮もしなくていい
人生の折り返し地点(っていつかわからないけど)を過ぎてやっと、素直にそう思えるようになりました。